輝く世界のはなし

ファインダー越しにみる世界

テニミュ周辺の出待ちについて考える

ここで使う「テニミュ周辺」はテニミュに出演していた俳優やその俳優が出たほかの舞台、出演者そのあたりの広く言えば若手俳優全般のこと。「出待ち」は禁止されてるものについて。


橋本汰斗が出待ちについてブログを更新した。
要約すると、事務所のルールで出待ちは禁止となっているがまあルール守ればいいと思っていた。しかし対応していたらバカな奴が身の危険を感じることまでしてきた。だから、出待ちはやめよう。今までルール守って出待ちをしてこなかったファンのみんなごめんね。
ナベプロは前から出待ち禁止を公に書いてきた。なのになぜ出待ちはなくならないのか、なぜだめなのか考える。

どうして出待ちは禁止なの?
まず、どうして出待ちをするのかを考えてみる。私は出待ちをしたことがないので想像でしかないが、きっと得なことがあるのだろう。普段舞台上でしか見られない相手のオフな部分を見られて場合によっては話せたり手をふってくれたり、運が良ければ認知してもらえる。そんな得なことがあるから出待ちをするのだろう。
では、なぜ出待ちは禁止なのだろうか。公式を見ると周辺への迷惑となるためという言葉が必ず出ている。たしかに多くの人が公道へ溢れたり大声を出していれば迷惑となる。しかし、事務所や主催者は禁止という言葉を出すだけで、実際出待ちをバラしたりはしていないであろうことが橋本のブログから読み取れる。出待ちをなくさことに本気はだしていないのだ。禁止と書くことで、良識のあるファンは出待ちをしない。良識のない一部のみが出待ちをすることにより周辺に迷惑をかけるほどにまではなっていないのだと考えられる。事務所などは大人数でなければ構わない、そう考えているのだろう。橋本のブログにも禁止でありながら対応をしたいたことが書かれている。良識のあるファンが馬鹿を見る結果となっていたのだ。
しかし、橋本はブログに出待ちをしないでと書いた。それは、自身が危険を感じることがあったからだ。今まで対応をしていたということはそれなりに自分にも得だと思うこともあったのだろう。ファンとの距離が近いことにより、少し優しくすれば自分のみのファンになるかもしれないし、出待ちがいるということは自分が人気と思う指標にもなるのかもしれないというようなことだ。今まで良識をもって応援していたファンを蔑ろにしていたことを気がつかず出待ちに対応していたのだ。ブログにあったように無視はできないのかもしれない。しかし、私はルールを守らないファンが得をするのはどうなのかと考えてしまうのだ。結局橋本は、自身のために出待ちをやめろといっているだけで、ファンのことは考えていない、そう思ってしまうのである。勿論悪いのは禁止されている出待ちをするファンであるが、それをなくそうとしない事務所、対応する俳優にも問題はあるのである。
私はどれだけ事務所や俳優がブログに書こうと出待ちはなくならないと思う。今書かれてやめるようならとっくにやめているだろう。俳優が出待ち全員を無視するというのは無理なことであり、手をつかまれそれを振りほどいたとしても出待ちするようなファンはそれすら出待ちしてよかった!と思うだろうからである。本気で出待ちをなくそうとするにはファンにも見えない出口に車をつけるとか出待ちしたファンの身元を調べて出禁にするとかしないとだろう。しかしそんなお金と手間のかかることはしないだろう。だから、出待ちはなくならないのだ。事務所は出待ちを禁止としながらも容認し、良識がありルールを守るファンはそれを我慢するしかないのである。

それでも出待ちをしない理由
私は出待ちをしたことがないし、ルールを守らないやつが得をすると分かっていても出待ちはしない。それは私が俳優に夢を見ているからだ。私は公なものでわかるその人の情報しか知りたくない。もし、私が出待ちをしてその人に冷たくされたり反応を貰えなかったらショックを受けるだろうし、嫌いになるかも知れない。(あの人は出待ちに対応しないらしいなどを聞くとうれしくなるが)芸能人の素の部分など知る必要はなく、夢をさせてほしい。


汰斗が嫌いなわけじゃないよ?でも対応してるくせに自業自得じゃねーかと思わずにいられなかった。