輝く世界のはなし

ファインダー越しにみる世界

推し変の条件

アイドルにはまって若手俳優ファンでいる自分が少し遠く見えるようになった。今でも好きだけど私の好きは100までしかないからその気持ちを分けて応援することしかできない。少し遠く冷静に見ると私の推し変はとてもわかりやすい。「売れたら推せない」それだけ。あれほど大好きで一つの瞬間も見逃したくなかったのにどんどんあれはいいや、あれもいいやって見なくなっていく。
今までで本気で推したのが阪本奨悟と志尊淳。それまでも柳とか圭ちゃんとか好きな人はいたけど見逃したくない、好きすぎて苦しいってそれくらいあほに好きだったのはこの二人だけ。奨悟は自分自身田舎の高校生だったから使えるお金も時間も限られてたけど、志尊はもう頭おかしいくらいすきだった。大学生でお金もあって時間も有り余ってて志尊に捧げてた。スキャンダルだって平気だったし、むしろスキャンダルでさらに盛り上がったのにテレビに出るようになったらもうだめだった。奨悟も大河にでるようになったら気持ちが冷めてた。でも、売れないで!とか遠くに行っちゃやだ!!とは思わないのが不思議。売れたら売れたでいい。でも、わたしはもう推せないなあって自分でも不思議なくらいさらっと気持ちが離れていく。
わたしは好きな人と推す人はちがう。好きな人はは少しでもいいな、とか可愛いなって思ったらすきになって応援するけど、わたしは推しには見返りを求めてしまう。とことん勘違いをさせてほしい。目線があったとかわたしに手を出し振ってくれたとかそういう勘違いをさせてほしい。客降りで自分側に来てくれなかっただけでへこむ。でも、ガチ恋にはなりきれなくてこれが勘違いとわかってるけど、勘違いをできる要素がほしくなってしまう。だから、推しは簡単にできない。すきですきで推したのになんで冷めるときはあんなにあっさりなんだろ…。周りに見つかってない人が好きというわけではないけど、自分が応援しなくてももういいのかなあって気持ちになっちゃうのかな。

伊野尾ちゃんがすきになった!て元ジャニオタの友達に言ったらああわかる、すきそう。って言われた。このすきそうはビジュアルだけじゃなくて有名どころじゃないところを好きになるよねいつもってところを含むそう。テニミュキャストと伊野尾ちゃんじゃあ知名度低いのレベルが違うけど、最初に気になった山田から伊野尾ちゃんを好きになったのは伊野尾ちゃんが知られてないから?でもわたし的には違うと思う。ジャニーズって物自体がわたしにはかなり遠いもので遠い存在で異次元だから伊野尾ちゃんもかなり遠い。知名度低いなんて言ったって9人で東京ドームできちゃうグループにいる人を近いなんて思えない。東京ドームで目線なんてかなり無理しないと勘違いできないよ。だから、アイドルにはまったことはわたし的に少し自分が変わったというか大人になったというかそういう変化なのかもしれないなと思う。距離がある人を応援してできるようになった。いや、もちろんテニミュキャストだって芸能人だから遠いけど。接触ができる芸能人とできない芸能人は距離が違うわけで。
わたしは俳優に対して「推し」って言葉を使うけど、ジャニーズだとそこが「担当」になるんでしょ?担当って言葉を重く捉えすぎなのかもだけど伊野尾ちゃん担当かって言われたら、んーてなる。担当って言葉のその人オンリー感すごいっていうかわたしは担当は名乗れないなあと思う。すきといってもキラキラしてる彼らの1人である伊野尾ちゃんが特に気になるってレベルで、たぶん接触のない伊野尾ちゃんに志尊にかけたみたいな時間やお金は使うことができないと思う。大人になったとか書いたけど結局根底には若手俳優オタな自分がいて接触がないと推せない。だから、もうあれ以上の時間とお金をファンとして使うことはないんだろうな。
とか言ってそのうち伊野尾ちゃんすきすぎくるしい!!!とか言い出さないとはいえないけど。